残り12日 – Run Transition



その時、ハラダは叫んでいた。
「よっしゃー、あとはフルだけ!」アイアンマン参加者の中では、定番の雄叫びだ。
ここまで、スイム3.8kmを1時間半、バイク180kmを6時間半ほど、計8時間運動し続けていることになる。消費したカロリーは、5,000kcalを優に超えているだろう。成人男性2日分のエネルギーだ。
そして、最後のフルマラソンがある。
これは叫ばずにはやっていられない。
というか本当に、あとフルマラソンだけでいいんだ。そうしたら、終われる。終わってしまうんだ、と思うと、最後まで楽しまないと、という不思議な感覚がやってくる。
トランジッションでは、また豆乳と軽くエナジーバーを食べる。
先ほどの急にカロリーを摂取した痛い糧を思い出して、控えめに。
そして、最後のランに移るため、トランジッションを後にし、最後の42.195kmに進む。
180kmも自転車を漕いで(その距離は東京から浜松ほどある)、その後にランに入ったのに、体が軽く感じられる。
走り始めたのは夕方4時頃で、まだ外は明るい。観客がたくさんいて、気分も上がる。
アイアンマン・ケアンズのラン42.195kmは、1周14kmの公園、港、空港までのコースを三周する。
もうすでに飲み始めている顧客の勢いに合わせて、港まで走る。
ああ、早く泡が飲みたい。ハラダの原動力はいまやこれだけだ。
show less残り10日 – Run 10 km




その時、マツイは探していた。
バイクからランに移って、やはり体が辛い。もう8時間近く動き続けているので、体はボロボロだ。
ただ、数キロ走り続けて、港まで出ると、そこに、妻と子どもがいた!
妻は思い切り手を振って、写真を撮ってくれる。
「パパ、かっこいいよ!」
ほんとうは身も心もボロボロで手を振る元気もないはずだったが、走りながら笑みが出る。
子どもはまだ小さく、何時間も待った後だったためか興味なさそうだったが、知っている顔がびちょびちょのまま走っているのを見ると、近寄ってきた。
小さな手とハイタッチをすると、とたんに元気が戻ってきた。
よし、最後まで走ろう、この走りには意味があるんだ。
もういちど思い直したマツイだった。
その時、ノリコは泣いていた。
ノリコは、苦手なバイクを終えて、ホッとしていた。
そして走り出すと、喜びが湧いてくる。
これだけ動き続けて、また走るのが嬉しいというのは頭がどうかしているが、やはり元来体を動かすのが好きなのだろう。足が勝手に前に出る。
その勢いで、バイクを終えた時点では四番手だったが、ハラダを抜き、僕の事も軽々と抜いていった。
ノリちゃん、このままならアイアンマンでサブフォーだね!
僕が声をかけると、「それ、ねらっちゃおうかなー」と足取りも軽くいってしまった。
サブフォーとは、フルマラソンで4時間を切ること。普通のマラソン大会でも、特に女性ならなかなか越えられない、4時間切りだ。それをアイアンマンの最後のパートでやろうとしている。
つくづく、根性あるなあ、と思ってしまう。
しばらくすると、軽々と抜いていったノリコがうずくまっているではないか。
目に涙をうかべ、お腹が痛いと言っている。
ケアンズの天気は変わりやすい。さっきまで晴れていたのが、風が強くなって小雨交じりになっている。
汗が冷えて、お腹を冷やしてしまったのだろうか。
それとも、カロリー補給のエナジーバーが胃を痛めてしまったのだろうか。
ノリちゃん、どうする?なにかできることある?と背中をさする。
「すこし歩きながらいくー」とそれでも歩みを止めない。
やっぱりか弱い女の子だったのね、となぜか安堵してしまったが、ゆっくり行った方がいいよ、まだまだ大丈夫、とだけ声をかけた。
でも、本当に大丈夫だろうか。
show less残り9日 – Run 20 km




その時、僕は朦朧としていた。
ノリコを後にして、僕は前に進む。3周回コースで、1周毎に腕にアイアンマン・リングをつけてくれるので、これを三つ集めれば、終えられる。
最初の一個をもらって、一周終わる頃までは調子良かった。
10km付近にあるスペシャル・バッグという自分で用意した袋を置けるところがある。そこにキャップとサングラス、いらないものを詰める。
もう夕方で暑くない。とにかく体を軽くしたかった。
二周目はつらかった。どんどん体が重くなる。
エイドでもバナナを食べるのがやっと。ジェルやスポーツドリンクが飲めなくなる。
そもそもこのスポドリがまずい!あとやっぱりレッドブルが出るのだが、飲めない。翼を授けて欲しいのに!
そのうち、カロリーが吸収できなくなり、意識が朦朧としてくる。
走るためにエネルギーが必要だが、もう胃は受け付けてくれない。でも走らないと終わらない。
もう意識朦朧としたゾンビのような状態だ。
そんな時、後ろからノリコが来る。いい走りだ。
もう、先に行って!と道を譲り、自分はマイペースで行く。
調子を取り戻したノリコは快調そのものだ。さすがアスリート。あそこから復活するとは。
僕もそれで奮起した。
その後三週目、最後の白いリングを受け取り、日もとっぷり暮れた。
ハラダが後ろから猛追してくる。さすがシャチョー、先行ってください!ゴールで会いましょう、と言い残す。
show less残り8日 – Run 30 – 40 km



そして、やっとの思いで40kmまで来た。
ここで、最後にスペシャル・バッグを手に持って、ゴールまで向かう。
最後の1kmのところで周回遅れのシンジを見て気がした。
その時点でちょうど14時間だ。タイムリミットまでは3時間。僕はもうあと5分の辛抱だ。
あと1km最後の力を振り絞る。
そして、最後の花道、レッドカーペットが見えてくる。
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