“インカ、マヤ、アステカ …”
この言葉を聞くとワクワクしてしまうのはなんでだろう。
中南米のジャングルの中を旅して、隠された黄金の財宝を探し、木々に埋もれた古代のピラミッドを発見する。インカやマヤと聞くと、そんなイメージを呼び起こし、冒険心をくすぐられるんだと思う。
そんな中南米の文明の遺跡を3回に分けて旅をしました。それを旅行記の形でまとめたので、インカ、マヤ、アステカを巡る旅の、はじまり、はじまり。
そもそもインカやマヤ文明って
僕も含め、インカやマヤと言うと、鎌倉時代の次は室町時代のように、一つの場所の文明の遍歴と思っている人は多いと思う。実際は地図中のように、広く中南米に渡る地域の、それぞれ別々に発展した文明だ。発生した時期や歴史の古さも地域によって異なる。

紀元前1,000年頃に始まったアンデス文明とインカ
そもそも人類(ホモサピエンス)は、氷河時代にベーリング海峡が氷で陸続きだった紀元前20,000年から10,000年前に、アメリカ大陸に渡ってきたとされる。
その後、北米、中米、南米と旅をした人類は、紀元前10,000年頃に南米ペルーやボリビアなどのアンデス山脈付近に定住するようになった。
その後、紀元前1,000年頃から、石造神殿やとうもろこし栽培をするアンデス文明が始まった。

その後、ナスカの地上絵で有名なナスカ文化などが興り、12世紀になって強大なインカ帝国による文明が花開いた。
しかしながら、16世紀にスペイン人達がこの新大陸に到達し、運命が変わっていく。
1533年にピサロ達が数100名の兵士のみで、数万のインカ帝国を滅ぼしてしまった。
インカの人達は文字の文化を持たず、結び縄による数値表記だけだった為、以前の記録がほとんど無い。その為古代の姿はなかなか掴みづらいが、破壊を免れたマチュピチュの遺跡がそれを静かに残す。



紀元前1,000年頃ユカタン半島に栄えるマヤ文明
そして中米メキシコ付近では、紀元前1,200年頃からマヤ文明がユカタン半島を中心に栄えた。
この文明は、日本で言えば縄文時代から江戸時代くらいにかけての期間(!)非常に長く続いた。その中では小さな都市国家が戦争などを繰り返しながらも、共通の文化を持っていた。
マヤの遺跡としては、リゾートで有名なカンクン近くのチェチェンイッツァが有名だ。これはマヤの歴史の中でも、1500年代にかけての後期に築かれた壮大な遺跡だ。

このユカタン半島、マヤ低地は、ジャングルが生い茂る密林地帯で、チェチェンイッツァ遺跡もその中に見つかった。

マヤ文明は、日本で言えば縄文時代から江戸時代くらいまで、2000年以上続く文明となっている。ただジャングルの中に忽然とその姿を消してしまった為、謎の多い文明になっている。

ティオティワカン・アステカ文明
そしてメキシコシティ付近の中央高原では、紀元前100年くらいからティオティワカンが栄え、その後チノチトランを中心としたアステカ文明がスペイン征服の1521年まで栄える。
ティオティワカンのピラミッドは圧倒的な大きさで、当時の勢いをまざまざと見せつけられる。
そしてその後のアステカ文明が栄えたチノチトランも、それを受け継いでいる。
Inca, Maya, Aztec
それぞれを文明を見ていこう!