残り100日 – シンジは倒れていた


シンジは、倒れていた
文字通り、道路に体を横たえ、自転車の下敷きになったまま、動けなかった。
アスファルトの堅いゴツゴツした感触に、妙に現実感がない。
オーストラリア・ケアンズで行われているアイアンマン・レース(スイム3.8km、バイク180km、ラン42.2kmの最長距離トライアスロン大会)の中ほど、バイクパートの90km付近での出来事だった。
海沿いのアップダウンが続く道の途中の登りで、突然両太モモがつってしまったのだ。
モモがつると、脚は真っすぐにしか伸びなくなる。
トライアスロンのバイクは、両足をクリートという金具でペダルに固定しているので、両足が伸びきった状態だと、スタンディングポーズをとらざるを得ない。そして足が取れないまま、いわゆる立ちごけになってしまう。
この怖さ、痛さはやったものにしか分からない。
しかも180kmのちょうど中間地点。前半スピードを抑えて、ここから後半調子を上げていこうという矢先だった。
やはり、夢にまで見たアイアンマン・レースで力が入ったのだろうか。
それとも、塩分、水分が上手く取れていなかったのか。
絶望的な状況の中、何故か頭は冷静で、かつ今更分析しても始まらない事を、横たわりながらボウッと考えていた。
初めてトライアスロンの大会に出た時のこと、その後の練習、そしてちょうど一年前、アイアンマンに出る事を決めた時の事、それらがとりとめもなく頭を回っていた。
show less残り98日 – それは、軽いノリだった


それは、ただの軽いノリだった
シンジがトライアスロンを始めるきっかけは、年末の同期との飲み会の席だった。
シンジは三十代半ばの普通のサラリーマン。身長172cm、体重は大台の70kgを超えそうだ。まだ太って腹が出ているという程ではないが、けっして健康的な生活ではなかった。
仕事は、何度か転職もしているが、順調だ。
その夜は忘年会がてら久しぶりに前職の同期と集い、ワイワイ話している中の、たわいもない会話だった。
俺、最近トライアスロン始めてさ、と友人が言った。
じゃあ、みんなでやらない?一緒にレースに出ようよ、という軽いノリだった。
トライアスロンの種目としては、シンジは、水泳に関しては中学の部活で少しはやっていたが、マラソンや自転車などはつまらないものだと思っていた。
体格的には、最近の運動不足がたたって、少し太り始めたまさに普通の中年だった。
しかも音楽やテレビ業界で働いていたシンジは、夜の接待、飲み会も多く、健康に気遣うようではなかった。
ただ友達に後押しされる形で、最低限のロードバイクを買い、少し走り始めた。
そしてその半年後の5月に、飲み会メンバーと、新島トライアスロンに出場する事にした。
これは、かなり無謀なチャレンジだ。
この新島トライアスロンは、トライアスロンの中の最も一般的な距離、オリンピック・ディスタンスというものだ。スイム1.5km、バイク40km、ラン10kmで、シドニー・オリンピックからの正式種目。オリンピック選手ならこれを2時間弱で終えてしまう。
show less残り96日 – ほろ苦いスタートになった


そして、彼のデビュー戦はほろ苦かった
心底ドキドキしながら、新島トライアスロンが始まった。
スイム開始直後、数百人の選手が一斉にスタートし、バトルと呼ばれる混乱、接触の中、正気を失ってしまい、息を吸おうともがく中、過呼吸になってしまったのだ。
スタートからたった300mで、過呼吸になり、水を飲み、溺れかける。
その場で何とか手を上げ、ライフセーバーに助けを求め、救出されるも、あえなくリタイア。
せっかく様々な準備をして、船に乗って、新島までやって来たというのに、たったの数分で競技が終わってしまった。
悔しすぎる。
このあと、この経験が彼を突き動かした。
なかなかエンジンがかからないシンジだが、これを期にお尻に火がついた。
あんな惨めな思いはもう二度としたくない。
練習に身が入るようになり、スピードも、体もめきめき変わっていった。
そして、その年の秋には、新潟のメジャーな大会、村上トライアスロン(オリンピック・ディスタンス)に出場し、見事初トライアスロンを完走する。
次の年、同じ新島トライアスロンに出場、無事走りきり、リベンジも果たす。
幾つかのレース、オリンピック・ディスタンスの2倍の距離のミドル・レースも完走し、トライアスロンが楽しくなっていたところだった。
show less残り94日 – 悔しすぎる、そしてリベンジ

残り92日 – そこにあの悪夢が

そこに、あの悪夢がやってきてしまった
二度目の肺気胸を患ってしまったのだった。
これはやせ形の男性に多い疾患で、何らかの衝撃で肺の薄い壁に穴が開き、空気が肺の外に漏れ、息が吸えなくなってしまうものだ。
一度目は、社会人二年目の時、仕事に打ち込むあまり、自分の体調に無頓着だった。
あまり運動はせずに、激務が重なり、不健康状態が続いた中、出張中に胸に激痛が襲い、そのまま入院、手術を受けたのだった。
その後、少し仕事のペースを落とし、肺は元通りになったと思っていた。
それから、幾つか会社を変わり、10年程が過ぎ、前職の友達とトライアスロンを始めたのは、先ほどの通りだが、ここでまた肺気胸になってしまったのだ。
やはり海の中を泳ぐスポーツで、呼吸系に難があるのは、正直命取りだ。
そもそもあの痛み、胸のなんとも言い難いあの感じがまた襲うかと思うと、恐怖心が頭をもたげる。
ちょうど調子に乗って来たトライアスロンを、しばらく止めざるを得ない状況だった。
それでもスポーツを完全に止めなかったのは、仲間のおかげだった。
ときどき仲間にあって情報交換をしたり、あまり無理せず細々と走ったりはしていた。
そんな時、アイアンマン・ケアンズに挑戦するちょうど一年前、転機が訪れる。
show less残り90日 – ある人物との出会い



ある人物との出会い
トライアスロンの師匠となるゴトウと出会ったのだ。
ゴトウは、トライアスロン歴15年のベテラン。
約10年前にトライアスロンの最長距離アイアンマン・レースのフロリダ大会を完走し、ほぼ毎日トレーニングを続けていた。
シンジとは、前職のOBの繋がりとして出会い、その後ゴトウ‐シンジの師弟関係が結ばれる事になる。
その練習メニューは驚異的だ。
まず毎朝5時に起きて自主トレの10kmラン。
そして退社後のプールでのスイム、2、3 km。
週末は、最低100km、長い時は200kmのバイクライド。
この練習メニューに、シンジは食らいついていった。
正直、ゴトウの運動能力に比べ、シンジは体力、気力ともに全く足りなかったが、彼は死に物狂いでついていった。
アイアンマンになりたい一心だった。
show less残り88日 – そしてスタート地点に立つ


遂にスタート地点に立つ
そんな練習を1年近く続けた結果、今この舞台にたつ。
日本のちょうど反対側、6月のオーストラリア・ケアンズの海。
波は高い。雨風も強い。
そして今、全長226kmの長い長いレースを告げる、号砲がなった。
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